それから4年各部署のシェフドパルティエ(各料理部署の頭)を経て、28歳で晴れてフランス料理店のシェフ
大阪難波の レストランアーゴ の料理長となります。
この料理長時代に、あらゆる食材を、週に3日くらいの割合で中央市場まで買出しに出て、触れることが出来ました。
当時は魚も安く、ひめじ・こち・まとうダイなども安く、まだメジァーでなかったマンゴーなども一個50円くらいでした。
今ではとても考えられません。
かれこれ、5年くらいでしょうか、アーゴでは、かなり繁盛させ、近場のヴァンサンクの原さん・シェ ワダの和田さんとも
仲良くさせていただきました、いい思い出です。
その後はいろいろの分野を経験することになります。
ざっと、ハンバーグレストラン・ホテル・スパゲティ専門店・イタリアンレストラン・オルゴールレストラン・お弁当屋さん・宅配専門店・
鉄板焼き・串かつ屋さん・うどん屋さん・熟成肉専門店・ジンギスカン・ステーキ専門店など
そして去年までは、約8年くらい、ラーメン店もやっていました。
そんな折、約5年前、病気で家内を失ってしまうことになります。
ここから私の人生も変わってきます。
当時、長男と次男がまだ学生(中3・高1)夜だけのらーめん店を営んでいたこともあり、毎日
朝、仕事を終え、帰宅後、朝ごはん作り、子供の弁当を作り、それから就寝、昼過ぎに起き、晩御飯を作り、仕事。
その途中で材料の買出し、そんな毎日を送り、息子はそのまま大学へ二人とも進学。
この、自宅のキッチンへ入りご飯を作ることが私の考え方を返させました、年齢も55歳となり、
もう現場(調理場)で働くこともしんどくなると同時に、「なんて使いにくい家庭のキッチン」という考えもどんどん
大きくなり、今では、この「使いにくいキッチンを IT・AI・先進機器を導入して、未来のシステムキッチン」
を テーマに考え、更なる家庭のキッチンの進歩を考えて行きます。
これから、今発明している器具・機器も含め、アップしてまいります。
どうぞよろしくお願いします。
0コメント